Yo’s song(3/3)

 2021年9月18日。15、16と横浜へ急な用事があって、連れて行って帰ってきたところだった。思えば朝からちょっと様子がおかしかった。溜まった用事に忙しくしていると、やたらにまとわりついて、ホバリングしながら肩や胸をつついて、「ピィーッ、ピィーッ」と訴えてくる。夕方、友人の田んぼの稲架掛けの稲が台風で倒れているのを知って、直しに行こうと着替えていると、繰り返しからんではつついてきた。「置いてかないでよ」はいつものことと思い、いなして、出かける。そして田んぼで稲架を直しているところへ、ひーさんが自転車に乗ってやってきた。ようちゃんが出ていった。

 いっしょに戻って、自転車を置き、探しに出かけた。ひさびさだが、間違って出ちゃっただけならすぐに帰ってくると、当初は思っていた。「ようちゃーん、ようちゃーん」と声を上げれば、近所の人たちがすぐに様子に気づく。「いやー、ひさびさに逃げちゃって」とまだ余裕を見せながら話していた。ひーさんの見た情報を頼りに探すがみつからない。もっと上まで行ってるかもと。昔の捜索の経験で、そのあたりの塀か、とまりやすいフェンスや、人でもいれば肩へ行くと思っていた。考えたら、前に飛び出したのはもう一年も前のことだった。

 ようちゃんは飛んだ。遠くまで飛んだ。どこまで飛んだかはわからない。が、みつけられなかった。気づけば集落の人たちも、いっしょに探してくれていた。屋根の上や電線に鳥がいれば、あれじゃないかと。よく似た大きさのイソヒヨドリを屋根の上に何度もみかけた。2時間も探し歩いただろうか、辺りは暗くなり、もうどこかで休んでるだろうと。捜索を諦め、家に帰った。「またあした。」と言いつつ、、もうみつからないかも、と思っていた。

 集落の人達と別れ、二人で家に戻れば、家の中はいつもの景色。ようちゃんの糞はそこらじゅうにあり、糞を取るトイレットペーパーは散乱し、テーブルの上には柿の食べ残し。洗面所に行って、手を洗おうと思ったら、出かける前に水浴びをさせたままの水が溜めてあって。僕は、ふいに、泣きそうになったのをこらえたが、洗面所から戻ったら、テーブルの上の柿を見て、もうひーさんは泣いていた。ようちゃんの痕跡がすさまじい。いつも日が暮れて家に戻ってからは、ようちゃんとの時間だった。戸を開ければピーと鳴いてまっすぐに飛んできて、僕らはあやしながら、はいはい、ごはん用意しようねーと、甘えた時間を過ごす。その声が、ない。やっぱり耐えられなかった。明日また朝から探して、と言いながら。いつも聞くラジオをかけることもできず、一段と静かな、晩ごはんを食べた。「いつも朝5時半には起きるよねようちゃん、起きてまた探しに行こう。今日は早く寝よう。」などと、無理に希望を持って話す。集落のTさんから電話があった。外にカゴ置いといたら朝には帰っとるかわからん。置いておけ。と。みんなの心配がありがたい。

 夜になってできることはない、シャワーを浴びて11時には布団に入った。でも眠れなかった。ようやく寝たものの目が覚めれば2時。トイレに行ったり、水を飲んだり、また布団に入るも結局寝られなかった。隣で寝ているひーさんも、寝ては起き、寝ては起き、だったらしい。朝、5時過ぎには布団を出て着替え、外へ出ていった。早朝から大きな声では呼べないが、自分の姿が見えれば飛びついてくると思って、歩き回った。昨夜、あの一年前に帰ってきた山の方では、と思っていて、そこへ入った。いつも聞かせていた篠笛を吹いたら聞こえるかと、山の中で吹いた。だけど出会えず、帰ってきた。家へ戻っても縁側でしばらく笛を吹いていた。それを聞いてひーさんは何度も泣いていた。朝ごはん食べてまた、もう一度探してみよう。昨日は強風も吹いていたし、もしかしたらもっと遠くまで飛んでしまったのかもしれない。でも、あっちから探して戻ってくるかもしれないから、ひーさんは家にいて、と話す。静かで張り詰めるのは耐えられないのだが、それでもようちゃんの声を聞き逃したくなくて、いつもかけるラジオも、二人ともかけようとしなかった。

 思い当たるところを皆回った。出会う人には皆伝えた。人がいれば肩にとまってくるだろうから、そんな鳥を見かけたら教えてと。軽トラで隣の集落まで探しにいった。でももう「ようちゃーん」と呼ぶ以外にどう探していいかわからず、行こうと思った場所を全部回って帰った。すべての窓を開け放しておいた家には帰っていなかった。ひーさんは紛らわすために掃除をしていた。そう、なんといってもようちゃんの痕跡が辛い。つまり、お互い認めずも、少しずつ、別れを自覚していた。ここで、やっと出ていったときのことを聞けば、僕が思っていたのと少し違った。昨日はひーさんが台所の掃除をしていて、ゴミを外へ出そうと、勝手口を開けた時のこと、暖簾の隙間から、カウンターの上のようちゃんと目があったと言う。その瞬間、暖簾の間をシュッと通り抜け、そのまま外へ出たらしい。窓の開け締めなんて今までそんな神経質じゃなかった。僕らが出ればついて出てしまうこともよくあったが、肩へとまるか、慌てて自分で家へ戻るかだったのだ。それが。意を決したように飛んで出たという。みかんの木のところを抜け、隣の家の屋根を飛び、建物の影へ。表の道へ出て見れば、お茶屋さんの近くを飛んでいたという。僕を呼びに行って戻ったときにはもう、姿はなかった。間違って出たんじゃない。意思を持って飛んだ。そんなことは初めてだった。

 ストレスが溜まってたのかなと、ひーさんは言う。僕は。大人になったんじゃないかと。確かに、ここのところ横浜へ行ったり来たり。カゴで過ごすことも多く。いや、ようちゃんの飛行能力は劇的に成長していて、襖や戸を外しているこの広い家の中も、狭く感じるくらい、ビュンビュンと旋回して飛んでいた。最近、僕らが家に帰るといつも風呂の大きな窓のところにいた。網戸をつついて外を見ていたんだ。あの訴えは。僕らが出かけて離れる寂しさじゃない。もう外へ出る準備ができていたんだ。もしかしたら、窓越しに、仲間とも話しがついていたのかもしれない。だから、「出してよ」「出して」と訴えたような気がしてきた。

 放鳥のためには、人間を嫌いにさせなければならないと聞いていた。ぼくらはそれができず、かわいいかわいいで育ててしまった。もうきっと10年だってこうしていっしょに過ごせると思っていた。ようちゃんは。まともだった。自分の成長を自覚し、野の世界への本能を忘れず。ここを出て飛んで行こうと、自分で決めたんだ。

 僕らは心配で。そんなすぐに自然に馴染めるだろうか。仲間に入れてもらえるだろうか。餌は何取ったらいいかわかるの?水浴びはどこでするの?そして、寂しくないの?一人で震えていたらどうしよう、と。目に付けば助けを求めるだろうと、朝夕歩き続ける。でも。これはもしかしたら、目指した形とは違うものの、放鳥なんじゃないかと。僕らが覚悟できないまま、ようちゃんは甘えず、旅立った。あんなに人間の暮らしの中にいたのに、ちゃんと野生の本能を持って飛んだ。

 家ではすぐに床に降りてしまったし、人間のような大きな生き物も怖がらないし。外の世界では、あっという間にやられてしまうんじゃないかと、心配すればキリがない。でも。きっと生きてる。仲間たちとうまくやってる。自分の意思で出たんだから、餌を置いて家を開けているからって、中途半端に帰るなんてしない。いや。センチメンタルになってるのは人間だけで、野鳥は、もう野生のスイッチが入って、その圧倒的なワイルドライフに飛び込んで、一気にいろんなことを吸収して、これまでのこともリセットしたんじゃないか。そうでなきゃ、この自然の中、体一つで、生きてなんかいけないんだ。

 ようちゃん。君は、本当に成長した。成長できなかったのは僕らの方だけど、君のおかげで、本当にたくさんのことを学んだ。信じられないこと。成長させてもらえた。人間は弱いね。親だとしたら、失格。だって気づいてあげられなかったし。ずっとこのままでいられればと思ってたし。でも君に会えて。拾ったことも、間違ってたようだけど。でも、よかった。本当にありがとう。こんなこと書きながらも、耳を立てて、ふと君の声が聞こえないかとまだ思ってる。人間は弱いね。しばらくは切り替えられない。でもきっと。会えたことも、旅立ってくれたことも、本当に良かったんだと思える。家の戸はしばらく開けておく。これは僕らの気まぐれだと思って。万が一帰ってきても、もう囲わない、と二人で決めたよ。だから。本当に困ったらいつでも寄っておいで。だって、ここはようちゃんの家だから。

 まもなく稲刈りが始まる。少しずつ、ようちゃんのいない生活に慣れていく。忙しくして紛らわそうと僕が言ったら、ひーさんが、紛れても、また思い出してしまうくらいなら、悲しいだけ悲しみたいって。本当にそうだ。泣いてしまうけど、何度も泣くよ。でもね。祈ってるのは、ようちゃんが元気でやっていること。それだけ。どうか元気で。たくましく生きて!

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追記1

 早朝から散歩と称し、2人で歩く。ひーさんはゴミ拾いだと言って、ゴミ袋を手に持っている。竹やぶの入口に2羽いた。声をかけると、別の木へ移り、また山の方へ飛んで行った。集落の上の方、裏山に群れがいる。近くまで行ってみようと登っていくと、20mくらいある大きな木の枝に何羽ものヒヨドリ。朝陽を存分に浴びて、ヒーヨ、ヒーヨと鳴いている。ようちゃんと同じ声。枝から枝へ移りながら、鳴き合い、一羽、二羽と、飛び立つと大空を、すぅーっと流れるように飛んで東の方の別の大きな木へ飛んでいく。他の鳥たちも次々に飛んでいく。僕らもそっちの木の方まで行くと、またヒーヨヒーヨと言いながら、思い思いに枝枝を飛んで、林の中や、上を移動する。なんて気持ちよさそうなんだろう。ヒヨドリはこんなに飛べるんだ。そして木にはこんなにとまる枝がたくさんあるんだ。野生動物にとって幸せも不幸も無いと言うが、もしうちに一生いて、これを経験できなかったとしたら、つまらない気がした。野の鳥は、野が似合う。本当に。しばらく様子を見て、茶畑を降りた。里の真ん中あたりにも柿の木などたくさん植わっているところがあって、そこにも群れはいた。次々と飛び出しては、木々を移り、数えれば10数羽はいた。こんなに群れで柿をつつくと、また里の人たちに嫌われる。1年も人に飼われた鳥。そんなにすぐに仲間に入れるのだろうか、いじめられたりしないか、と心配したが。なんとなく大丈夫な気がしてきた。今は気候もよく、山にも里にもエサも豊富。鳥たちは伸び伸びと、暮らしている。やっぱり準備はできていたんだと思う。そして、自らの判断で、生きてゆくべき場所へ戻ったんだ。

(2021/9/21朝記)

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追記2

近くで観察したことを、野生動物の生態を知る参考にしようと、メモしたが、膨大なのでここでは割愛します。

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追記3(法律について)

 法律について、狩猟免許を取るにあたって勉強してわかったこと、インターネット上の情報についての間違いを、記しておきます。鳥獣法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)においてまず、鳥獣、及び鳥類の卵を、捕獲・採取してはいけない。これは野生動物との関わりにおける原則です。「ヒナを拾って育てないで」これについては、その通りです。但し、法解釈はもう少し複雑です。手続き等によって捕獲ができるようになりますが、以下の3つに分けて扱われます。

①登録狩猟による場合

②許可捕獲による場合 

③指定管理鳥獣捕獲など事業による場合(国や都道府県による実施)

 それぞれにおいて、対象鳥獣や、捕獲方法、目的、時期など、ルールや条件が全く違います。それで、多くの記事はここが混同します。「ヒナを拾うな」これは①登録狩猟における禁止事項にあたります。許可捕獲では、事由が認められれば、ヒナを含むすべての鳥獣及び卵が対象となります。一方「野鳥を飼ってはいけない」これは②許可捕獲の方においての話となります。法第19条に許可を受けて捕獲した鳥獣を飼養をするには、都道府県知事の登録を受けなければならない。とあるのですが、現在は愛玩目的での飼養は許可されない。というもの。ところが、登録狩猟に関しては、飼養手続きは不要である。とあり、取った獲物を、飼ってかわいがるのも自由とされます。(特定外来種は飼養禁止、大型鳥獣など、飼養施設の届け出が必要なものもあります)

 現在、狩猟鳥獣に指定されているのは、48種類で、うち鳥類は28種。ここに、スズメやカラス、ヒヨドリ、ムクドリも入っていて、免許があれば、そのルールに乗っ取って捕獲し、飼うことができます。(繰り返しますがヒナは登録狩猟では獲ってはいけません。)また、有害鳥獣捕獲では、農産物などに被害がある動物について、捕獲すれば報奨金が出るものもあります。この場合は殺処分が原則です。(指定管理鳥獣以外にも、個別に被害の状況を届出して許可を得ることもできます。実際ヒヨドリの農産物に対する被害は多く、農家の嫌われ者の代表格です。)

そして、狩猟や捕獲のための免許ですが、自動車の免許のように、試験に受かれば誰でも取れます。道具ごとに試験があり、「わな猟」「網猟」に関しては、各都道府県で猟友会開催の講習を1日受ければ、ほとんどの人が試験をパスしており、僕もこの形で合格しました。

 多くの人が、無知により、ヒナを拾っています。田舎では今でも、野鳥を「とりもち」(禁止猟具)で取って、飼ってる人もいるので、啓発は重要です。ただ法解釈のネット記事は、ほぼ切り取って誇張して扱われており、細部で間違っているため、その記事を読んで、第三者が法律を理由に、非難するというのは、安易で危険な行為にも思います。動物保護や、生物多様性等の観点で、注意することもできますが、自然界における人間の存在はそもそも矛盾しています。向き合って討論でもすれば、気づきや学びになるかもしれませんが、知らない誰かが、ネットで書かれていることを根拠に非難するのは、問題の解決から逸れる気がしました。むしろこのことについては、飼ってしまった側の方が、何が正解なのかと常に悩み自問し続けるもので、僕らもそうでした。僕の場合、野生動物について双方から学びたくなり、野鳥の会に入り、また狩猟免許を取りました。

ヒナの近くには親鳥がいます。また、野鳥の会が言う「野の鳥は野へ」これは、最終的に僕らも見た結論です。予期せぬできごとに対して、僕らが取ってしまった行動、この経験が、何かの助けや参考になればと願っています。

(2021/9/25記)

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補足

僕がしたことは「誘拐」とも言われますし、許可のない捕獲はやはり「違法行為」にあたります。どういうわけかあれからさまざまな鳥(メジロ、カワセミ、ヒヨドリ、スズメやツバメ)がうちにやってきて、その都度、野に返し、親に返し、巣に返しています。実際自然の近くに住んでいると、不思議な体験をたくさんします。

鳥獣保護法は、2014年に鳥獣保護”管理”法(正式名称は前述)となり、平たく言えば、数の少ないものは保護し、増えたものは管理する(減少させる)、というものです。特に生活や農林水産業に被害を及ぼす鳥獣は、「有害鳥獣」などと言って処分対象となり、ヒヨドリはこの対象にもなります。人間生活や経済活動の都合で、自然に生きるものを増やしたり減らしたりコントロールなんてそもそもできるのか、さまざまな面から疑問や課題がある難しいテーマです。

自らの無知をあからさまにするものであり、当時日記として書いて1年以上伏せておいたものですが、予期せぬことに始まり、僕らが取ってしまった行動、そして学びや気づきが、野生動物との関係を考える一つの参考になればという思いで公開しました。

(2023/1/11記)

 

>>Yo’s Song (1/3)

>>Yo’s Song (2/3)

 

About the author

Choji シンガー・ソングライター

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