世間はコロナに不安ないつもと違う春を迎え、それでも集落は、季節が巡る限りいつもの仕事に忙しく。今年は春のツアーも全面中止となったので、苗づくりからの50日をじっくりと向き合っての田植え。さまざまな失敗もありましたが、そばにいて対処できたという幸運。無事に「ノアガリヒマチ」を迎えました。
川沿いに並ぶ旧区画の田んぼ4枚。全部合わせても1反6~7畝。ちなみに水路を下れば、そこに圃場整備した大きな四角い田んぼが並んでいます。一枚で2反(約2000㎡)の。それでも等高線や川の流れに沿った、一つ一つ形の違う昔ながらの田んぼが好きなんです。
本来4月の終わりには福島に発つ予定でいたので、苗出しから逆算して、4/17に籾撒き。苗箱にして45枚蒔きました。(実際に田に植えたのは35枚)籾撒きは日を選びます。先負だったので午後に蒔きました。
4月は思いのほか寒い日が続き、なかなか芽が出ずやきもきしましたが、元気な、いい苗が揃いました。品種は、このあたりでは昔から植えられている「キヌヒカリ」(自家採取)です。
田んぼ4枚のうち2枚はレンゲを肥料にした栽培。 去年自然に落とした種で一面のレンゲ畑に。 他2枚は冬に水を溜める冬季湛水で。全て無農薬、無化学肥料による米づくりです。
ところが今年は新たな問題。レンゲが旺盛に育ちすぎて、なかなかすき込めない。ちなみにうちの農業機械は、乗用の物など一つも無く、全て古い歩行式。耕耘(うん)機は重くて立ち回りにも力が要りますが、これが頼り。田んぼを歩けば、足先に土の具合をしっかりと感じられ、そういった農作業がやはり僕にとっては心地よいのです。長い時間の作業も、鳥たちが虫を探してついて来るので飽きず。
こうして無事に水が入りました。
ちなみに今年新たに開墾した場所も。田んぼテラス。少しずつ田んぼ部分を広げて田んぼと身近に触れ合える場所づくりです。せっかく作った畔も、オケラたちがすぐに穴を開け、水が漏れるのですが、鶏のミーとケーがパトロールします。
「ひーさんちゃんと植えられるのかなー」と心配そうに見守るケー。こちらは浅間さんの田んぼ(冬季湛水)。
一週間ほどかけて4枚の田を植え、田の島も浮かび上がりました。本来ならこの島で一年の無事と豊作を願って「田の声」を行うのですが、今年はコロナ感染拡大の心配からイベントを中止。でも、田植えを終えて早苗たちを前に、祈りを込めて歌いました。その様子は6/21開催の別企画、「北欧の音楽ピクニック」の中で、日本から、夏至の風景として配信されます。ぜひご覧ください。
北欧の音楽ピクニック≫https://www.music-picnic.club/
≫6/27再配信されることになりました。詳しくはサイトをご覧ください。
往来自粛中の集落
この春からの時間、往来の自粛が続き、過疎高齢化する集落では、県外に住む若い子供たちも容易に来られない中、田植えに茶刈りに、草刈りにと大忙し。たまたま地元で過ごした数少ない若手の僕ら夫婦は、さまざまな場面に頼りになったように思います。こうなると、遠くの家族より、近くの他人なんだなと。
ますます身近になったネット環境で、遠くへの訴えはもしかするとしやすくなったのかもしれませんが、こんな時災害でも起きれば、結局は隣近所。自分が住む地域と向き合う大切さを改めて感じました。耕作放棄地の対策も、外からの往来や交流を活かした取り組み等、僕自身もそのきっかけ作りとしてさまざまな試み、協力をしてきましたが、田んぼを教わった和歌山の筒香へ手伝いに行くことも叶いませんでした。
共に暮らすこと。行き来する交流は刺激にも学びにもなりますが、やっぱり住んでくれる仲間も欲しい。コロナで価値観やライフスタイルが変わると言われる中、それでも東京の人口はこの春も増えて1400万人だそうです。米があること。お金をかける代わりに自分でさまざまなことをこなしていく、つまり百姓的に生きることは、本業を休んで尚、心強く。むしろ「音楽」の本質も、経済ではなくこちらにあると思えば、不満なく。それぞれに事情はあると思いつつも、こういった地域に身を置こうと思う人が、一軒でも増えればいいな、と思っています。
ノアガリヒマチ
田植えを終えて、蛍舞い込む中、一杯やっていると、明かりがついている様子に訪ねてきたHさんが、「ノアガリヒマチやなぁ」と。田植えを終えて一休みという意味で、うちの集落ではときどき耳にします。昔は各家で田植え (家族や隣近所の共同作業でもある) が終わると 、餅を作ったり、あじご飯を炊いたりしたものだと。「ノアガリヒマチ」いい言葉だな。草取りを前に、ほんの一休みです。
美杉より(三重県)