Yo’s song(1/3)

 2020年7月15日、鉄人と、頼まれごとの庭木の剪定を終えて16時半頃、近所で、うちに続いて飼い始めたというニワトリを見に行ってみよかと、軽トラ2台で向かった時のこと。坂道の真ん中に鳥のヒナ。鉄人は避けて通ったが、僕は車を停めて確かめた。「なんだこれは。。」ぶくっと膨れて、くちばしが横に大きく広がって。手を出したら一瞬抵抗して、すぐに手の平の中に収まった。坂の上から別の友人が車で降りて来る。「ちょっとこんなのここに落ちてたんだけど。」伝える。(実際は落ちてるわけではない。後述)そして、抱えたまま車に乗って、ニワトリを見に行った。「そこでヒナを拾ったんですけど。」・・・皆反応に困った様子。新しく来たというニワトリを見に行ったのだが、もう関心は手の中のヒナ。そして、なんとなくこのまま連れて帰ってしまう。手の中のようちゃんはおとなしく、というか、突然捕まってしまって閑念した様子。家に戻って、いろいろと調べ出す。インターネットで調べれば、それがヒヨドリのヒナであることはすぐにわかった。エサをやらなきゃ。そう、インコなら小さい頃にいっぱい飼っていたし、粟玉とか水に溶いてやればいいんじゃないかと思った。籾を水に浸けて口もとへ持っていくが食べない。虫とかあげた方がいいんじゃないかと聞いて、なるほど。調べれば鳥の種類によって食べ物は全く違う。ヒヨドリのヒナが必要としてるのは穀物じゃなくて、動物。すかさず田んぼへカエルを取りに行った。そしてそれを口へ。なかなか開かない。それでも根気よくやって口をこじ開け、入れると飲みこんだ。一度食べればその後は、前に持っていけば大きく口を開けて求めた。さて調べていくと、ヒナは30~40分に一度エサを与えなくてはならないと。コロナ禍で仕事もない頃。ここからは、ただようちゃんのための虫取りが仕事となった。カエルを取っては持って帰って与え。また取りに行く。わりと大きいのも一飲みするが、すぐに糞として出てくる。これが臭いこと。カエルばかりはまずいんじゃないかと、虫など探す。とにかく生きてる虫はなんでも採る。そしてなんでも食べた。夜になると一旦寝たが、朝陽がのぼればまたピィピィとエサをせがむ声。朝から晩まで、エサをやり続けた。もう一つ、調べた時に知ったこと。鳥のヒナは拾ってはいけない、ということ。

 死なせちゃいけないと、とにかくエサをやった。ごはんや煮干しやトマトやバナナや、うちにあるもの、僕らが食べるものを混ぜて自家製のエサを用意した。なんといっても30~40分に一度というのは、普通に仕事などしてたらできないこと。時間があったのは偶然。そして並行して気になっていた、「ヒナは拾うな。」里山保全、自然保護団体との関わりもあったのに、不勉強で、知らなかった。まず市や県に相談した。ヒナを拾ってしまってと。確かもう2、3日経っていたと思う。どうしたらいいでしょう。行政は、対応に困った様子だった。この手の案件は・・・と。あれこれ質問するが、「放してくださいとしか言えないんです。」と。拾ったあたりを調べにいくが、少し時間が経ちすぎたように思った。そこで、正直に相談できる里山保全関連の知人3人に相談した。それぞれの見解も話してくれて、もちろん法律的なことに言及しつつ、いろいろと親身に教えてくれた。ここからは自己責任だが、エサをやっていく場合のやり方、傷つけないように注意する点、それから、放野(放鳥)までの流れのリンクも紹介してくれた。

 とにかく調べた方法でエサをやり、そして、育った。飛び跳ねて歩くようになり、エサも口を開けて待つだけでなく、自分からついばめるようになった。そして、体のサイズにはアンバランスな羽根を広げる。僕らはあくまで放鳥を目指していた。インターネットで調べれば、「ヒナを拾うな」「野鳥を飼うのは違法」と、センセーショナルなトピック、炎上投稿が散見され、次第に肩身の狭い思いが強まる。ただ、もうすでに戻す場所はない。ネット情報は、立ち戻ってのダメは繰り返し教えてくれるが、こうなってしまった後のフォローは少ない。犯罪者と叩かれる様子に心を痛める。

 さて、ようちゃんは順調に育った。この頃僕らは放鳥へ向けての準備も進めた。里山仲間がいいリンクを教えてくれてそれを参考にしたりした。(検索ではひっかからなかった)また、イナゴなど取ってきては目の前で放ち、自分で捕らえる練習もさせた。最初、捕れた時に喜んで大いに褒めたが、たぶん、この子らは野生の本能で、練習などしなくても、上手に捕っただろうことも、後に知る。ただ、天敵の恐怖だけは教えられなかった。

 飛べるようになってくると、窓を開けて外へも出られるようにした。それでももう完全に、僕らに懐いていたので、外に出ても僕らをめがけて飛んでくる。本格的な放鳥を目指すなら、人間を嫌いにさせる試練を課さなきゃならないらしいが、残念ながらこの覚悟が僕らにはなかった。窓を開け、外に出し、それでも肩に乗って、離れなかった。

 自由に部屋の中を飛んだりするようになってきて、僕らは少しずつ、自分らの仕事、日常の営みをしながらの共同生活が始まった。困ったのは糞。家中に糞をする。テーブル、畳の上、そしてパソコンにも。ある日、僕が事務所でパソコン仕事をしている時、後ろの窓のさんのところにようちゃんを置いて、窓も開けておいた。しばらくそこからちょっかいを出していたが、ふと振り返った時に、いない。「あれ?」落ちたのか?窓の外を見てもいない。ん?いなくなった?そんな急に?まさかと思いながら外へ出て探す。しばらくみつからない。まさかね、隣の土建屋さんの事務所の前まで行くと、その柵のところにとまっていて、僕の姿が見えると鳴いた。これが初めての行方不明と捜索。

 こんなことが何度かあった。なんせ開け放しているので、次第に飛べるようになると、家の周りを周回して、戻ったりする。だけどときどき方向がそれて、別のところへ飛んで行く。二回目の行方不明は、県道脇のお茶屋さんの中庭へ入っていた。声が聞こえたので探しに行くと。出て来て、道の上に降りる。強い太陽光を浴びると体を傾け、羽根を干して固まるような行動がこの頃あったので、道の上でそんなことをして、猫にでもみつかればひとたまりもない。すぐに拾い上げて持ち帰った。

 3回目は、もう一段上の屋敷までいった。塀にとまって待ってるところをひーさんが捕まえて帰ってきた。

 4回目のこと。朝から、また外を飛ばしていたんだが、ふいにまた上方へ飛んだ。いつものように追いかけて呼んだが、見失った。ちょうど稲刈りの頃だった。しまった、また探さなきゃ。と。いや、本来は放鳥されれば成功なはずなんだが、この頃こちらの心持ちもちょっと変わっていた。「ようちゃーん」と声をかけながら探しに行く。が、今回はみつからない。2人で手分けして、声をかけながら探し歩く。いない。とうとう行ってしまったか。いや、内々には、突然旅立って別れることを覚悟しておこうと2人で決めていたはず。でもとりあえず確認したいと探す。みつからない。10時からは稲刈り予定。諦めて始めよう。でももう一度探してみよう。集落をもう一回り大きく周ってみた。左手奥に山が見えるところで「ようちゃーん」と呼ぶ。「ピィーッ」遠く山から声がする。ようちゃん!声に確信があった。そして山へ行き、分け入りながら、ひーさんに電話する。「たぶんこの山にいる」しばらくしてひーさんが山の外に立ち、声をかければ、10数メートル先の梅の木の枝にとまっているという。僕は山の入り口に戻り、隣に立つ。見れば、あれは間違いなくようちゃん。なんとなく、これが別れじゃないかと思った。スマホのカメラをズームにして、最後の姿をと2枚撮った。そして「ようちゃん、どうする、野生に帰る?自分で決めるんだよ」と声に出して言った。2人の心の中では、情けないことに、「こっちへおいで」と言っている。だから自分らを説得するように声に出したのだ。何十秒かの沈黙。その後、ぱっと枝を離れると、まっすぐにこっちへ向って飛び、僕の肩にすっととまった。「そうか、、いっしょに帰ろう」と戻ってきたのは、奇跡のようだった。

 たぶんぼくらはこの緊張と開放で、すべての計画が崩れてしまったんだと思う。もう、いいよ。出会ったのも縁だよ。なんと言われようと、いっしょに暮らそうよ。僕らの都合だろう。でも、放鳥への努力は、僕らの中では偽善的で、正直でなかったことが露呈した。そしてここからようちゃんとの家族としての1年が始まったのだった。

(2021/9/19記)

 

>>Yo’s Song (2/3)

>>Yo’s Song (3/3)

 

About the author

Choji シンガー・ソングライター

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